バナナの歴史

バナナの伝播

バナナの起源

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バナナの歴史は大変古く、紀元前5千年~1万年ごろ、偶然できた種のないバナナの苗を、人間が栽培化したのが、現在のバナナの始まりといわれています。
私たちが食べているバナナは主に、マレー半島原産の「ムサ・アクミナータ」とフィリピン原産の「ムサ・バビルシアーナ」の2種がもとになっていると考えられています。マレー半島で栽培されたムサ・アクミナータは、フィリピンでもうひとつの原種ムサ・バビルシアーナと出会い、さらにいろいろな品種が生まれました。

バナナが世界に広がるまで

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東南アジアで栽培化されたバナナは、農業技術とともに東西の熱帯地域に伝播していきました。西方への伝播については、記録や証拠などが見つかっています。バナナが世界に広がったルートを追ってみましょう。

【1】インドから東アフリカへ

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マレー半島から西への伝播は、ミャンマーからインドへ、そして海を渡って紀元前2千年頃、東アフリカ大陸やマダガスカル島に上陸したと考えられています。

【2】アレキサンダー大王、バナナと出会う

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マケドニアの王アレキサンダーは、紀元前4百年頃インドに遠征した際、バナナを初めて知ったと言われています。
このことから、インドから西方へのバナナの伝播は、中近東を通らず海を渡ったと考えられています。

【3】西アフリカに到達

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東アフリカに渡ったバナナは、大湖地帯を経て、コンゴへ、そして15世紀頃、西アフリカに到達したといわれています。

【4】アメリカへ到達

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コロンブスのアメリカ大陸発見後の16世紀頃、フランス人の神父がアメリカへ渡航する際、西アフリカのカナリヤ諸島(スペイン領)に寄港し、そこで手に入れたバナナの苗を持って、大西洋を渡りました。そして中米ハイチに上陸し、苗を植え付けたところ、風土がよかったため繁殖しました。
ここからキューバ、メキシコ、ブラジルなどアメリカ大陸の亜熱帯地域へ、移住者とともに伝播していきました。

バナナの輸入の歴史

日本にバナナがやってきた

image大正から昭和にかけ活躍した大阪商船・台湾航路の貨客船・扶桑丸((株)商船三井提供)

明治36年(1903)4月10日 台湾からバナナが輸入される
台湾航路の貨客船・恒春丸(大阪商船)の船員が、台湾・基隆(キールン)港から神戸港に向け、7かごのバナナ(当時は1かごあたり10.8kg入り)を積み込み出港しました。
この日がバナナの商業的輸入(当時台湾は国内扱いだったので正式には「移入」という)の始まりとされています。

憧れのバナナへ

image昭和初期の市場の様子

大正14年(1925) バナナのセリが始まる
大正13年12月、台湾青果株式会社が設立され、翌年3月より営業開始しました。
台湾から日本に輸出されるバナナはすべて、集荷、輸送、販売を一貫して台湾青果株式会社に委託され、セリによって販売されることとなりました。これにより、それまで個々の商人によってバラバラに行われていたバナナの取引が統一され、輸入が拡大しました。

バナナのたたき売り

image門司・桟橋通(明治末期~大正初期) image昭和初期のバナナのたたき売りの様子

大正後期 バナナのたたき売りが門司で始まる
当時、門司は九州の中心都市で貿易港として発展していました。また地理的に台湾に近く、重要な中継港でもあったため、大量のバナナが荷揚げされました。 輸送中に熟してしまったバナナをいち早く換金する手段として、露店商などが門司港の桟橋通で人を集めて売りさばいたのが「バナナのたたき売り」の始まりとされています。バナナのたたき売りはここから全国に広がっていったといわれています。

戦前のバナナ輸入全盛期

image開設当時の築地市場

明治・大正時代、一般庶民にとってバナナはめったに食べられない高嶺の花でしたが、大正後半から昭和に入った頃から、庶民の口にも入るようになりました。それでも、お土産や病気の時などにしか食べられない特別な食べ物でした。

昭和10年(1935) 東京市中央卸売市場築地本場が開設

昭和10年2月、築地に広さ22万平方メートルの東京市中央卸売市場が開設されました。

image(台湾総督府データより作成)

昭和12年(1937) 戦前のバナナ輸入量が最高に達する

戦時下のバナナ

image現在の干バナナ

昭和12年(1937)7月 日中戦争が始まる
この頃からバナナ船は軍に使用されるようになり、戦場拡大とともに、バナナの入荷はしだいに減少してきました。

昭和16年(1941)12月 太平洋戦争が始まる
この年、台湾・高雄を出港したバナナ船が、戦況の関係でジグザグコースをとったため入港が遅れ大量腐敗を起し、全量廃棄処分ということが続出しました。

昭和19年(1944) 生鮮バナナが姿を消す
生鮮バナナの代わりとして、干しバナナが登場。

戦後から輸入自由化まで

image艀(はしけ)によるバナナの陸揚げ

昭和22~24年頃(1947~1949) 進駐軍用バナナが輸入される
進駐軍用バナナの横流し(納入検査不合格品)が、戦後の焼け跡で売買されるようになりました。
1ロット(1~5かご)あたり2万円前後という高値で取引されたもので、一般庶民には無縁の話でした。

昭和25年(1950) 7月 バナナ輸入が正式に再開 - 台湾バナナ[1]黄金時代 -
台湾からのバナナ輸入が再開されましたが、この頃の日本は外貨が不足していたため、バナナなど不要不急の物資は輸入数量が制限されていました。限られたバナナの輸入権利(外貨割当)を獲得しようと多数の業者が押し寄せたため、「ガラポン方式」と呼ばれた抽選や、バナナを輸入するかわりに同額の日本製品を輸出するという「リンク方式」、「入札方式」などさまざまな方法でバナナの割当が行われました。
この輸入制限措置のために、当時バナナはとても貴重な果物でした。

バナナの輸入自由化

image第一回日本バナナ輸入組合総会

戦後復興を果した日本は、自国の産業保護を理由に輸入制限をしていることができなくなり、昭和30年(1955)GATT加盟以降、その規約に基づき輸入自由化が進められました。

昭和38年(1963)4月 バナナ輸入自由化
IMF、その他の国際通貨経済機構の要求を受け、日本政府はバナナなどの輸入自由化を発表しました。

昭和40年(1965)6月 日本バナナ輸入組合発足
自由化が実施されると、台湾バナナの輸入をめぐり業者間競争が激しくなり、混乱が生じました。業界の統一をはかるため、「日本バナナ輸入組合」が発足しました。

台湾からエクアドル、フィリピンバナナへ

imageプランテーションの様子

昭和45年(1970) エクアドル産バナナの輸入量が1位になる
輸入自由化をきっかけに、南米のエクアドル産バナナの輸入量が1位になりました。

昭和48年(1973) フィリピン産バナナの輸入量が1位になる
フィリピンでは1960年代、自由化された日本市場向けのバナナを生産するため、大農園(プランテーション)が作られました。昭和48年以来現在に至るまで、フィリピンからの輸入がトップを占めています。

注釈

  1. ^ [1] 台湾産のバナナ。主品種は北蕉(ほくしょう)種、仙人(せんにん)種。輸入自由化(昭和38年)まで、日本の主力バナナだった。現在は日本に輸入されているバナナの1%未満。